境界性人格障害と自傷行為

桜木ひなたです。すっかり秋になりましたね。
季節の変わり目や雨の日は、体調を崩してしまいます。
自分も!という方も多くいらっしゃると思いますので、頑張って乗り切りましょう!

さて、今回は境界性人格障害とは切っても切れない関係である「自傷行為」について書かせていただこうと思います。
代表的な自傷行為は手首を切るリストカット、薬を大量摂取するオーバードーズがありますが、今回は「リストカット」について書きますね。
内容が自傷行為についてなので、不快に思われるからもいらっしゃると思います。
でも自傷行為をするには、こういった理由があるんだ、こういう気持ちなんだ。ということを、少しでも理解して頂けたら幸いです。
また「自傷行為」を「推奨」する記事ではないことをご理解くださいませ。

目次

リストカットの始まり

実は境界性人格障害と診断されるかなり前、まだ中学生だった頃から、リストカットはしていました。
当時は鬱の症状が強かったのと、家庭環境によるストレス。
恐らくそれが理由だと思います。

よく「生きている事を確認するためにリストカットをする」という人の話をお見かけしますが、私の場合はそれに当てはまりませんでした。
私が手首を切るのは「怒りをぶつける場所」が手首だったのです。

私の父は典型的なDV男でした。
その性質を受け継いでしまったのか、私も小学生くらいまでは物にあたる事が多々あったんです。
人に当たることはありませんでした。他人に対して暴力を振るったことはありません。

「次女だから」という理由で、離婚していた父には溺愛されていましたが、父のことは大嫌いでした。
ある日、母と喧嘩をした時に、私は怒りに任せて物を投げてしまったのですが…。
その時、母に「そういう所が父親に似ていて嫌いなんだ!!」と叫ばれたんです。
それがとてもショックでした。大嫌いな父親と似ている、同じ、母に嫌いと言われた…。

「あの父親と同じなんて、嫌だ」
という気持ちを抱いてから、物にあたることはなくなりましたが、そうすると怒りをぶつける場所がなくなります。
そこで怒りの矛先を向けられたのが「手首」だったんです。
悲しくて辛い時、誰かに腹を立てた時、その感情は全て左手首にぶつけられました。

また姉と喧嘩した時、姉に「だったらお前手首切ったことあんのかよ!」と言われたんですよ。
「はあ?」と思って、手首を切ることが辛さのバロメーターになるなら切り落としてくれるわ!くらいに思っていました(^^;

境界性人格障害と診断されてからエスカレートしたリストカット

「診断されてから」というとちょっと語弊があるのですが「境界性人格障害になったからリストカットがエスカレートした」わけではなくて「境界性人格障害の症状の一つとして自傷行為が悪化した」したんです。

境界性人格障害だからリストカットする。という意味で悪化したのではありません。

次にリストカットをする大きな理由となったのは「手首の人格化」です。
少し難しい表現なので、よくわからないと感じる方もいらっしゃるかもしれませんね。
簡単に言うと…

誰かからストレスを与えられる→手首をその人に置き換えて傷つける。
悪い子である自分に罰を与える→手首を自分に置き換えて傷つける。

ということになります。
例えば、仕事中の彼氏にメールを送ります。
仕事中なので返信が出来ませんが、何度もメールを送ります。メール攻撃ですね。
そして「ごめんね、返事が出来なくて」と返事が来たり、慰められたり、時間経過で反省をすると「自分は悪い子だ…メール攻撃をしてしまった…罰を与えなければ…」と手首を切るのです。

どれだけ彼が「ひなは悪い子じゃないよ」と慰めても、効果がありません。
境界性人格障害の患者には「良い子の自分」か「悪い子の自分」しか存在せず、その中間、所謂グレーゾーンの自分は存在しないのです。
自分が「悪い子だ…」と思ったなら、もうそれは悪い子なんですね。

悪い子には「罰」が必要…と、思い込んでいるんです。
なので、手首を切る。自分に罰を与える。
そして「自分に罰を与えたから、これで許してくれるよね?」というような気持ちで、手首を切った写真を送りつけたりします。
切りたてで血が大量に出ている中で、塩を塗り込んだりもしました。
まさに傷口に塩を塗る、ですね。
全ては悪い子な自分に与える「自罰」でした。

リストカットは長い間やめることが出来ませんでした。
毎日切るため、手首は赤黒く変色していたため、夏でも長袖を着ざるを得ません。

リストカットは必ずしも「辛いアピール」ではないことを、少しでも知っていただければ幸いです。
切っている本人は真面目に「自分への罰」として手首を切っている場合もあります。

受け入れられない母、救ってくれた先生の言葉。

私には子供はおりませんので「お腹を痛めて生んだ子供が…」といった事はよくわかりません。
理屈では理解出来ますが、出産経験がありませんから根底の理解は難しいです。

母はリストカットをした私の手首を見ると「またそんな事をして!私へのあてつけか!」と怒りを顕にしました。
私としては、あてつけだなんてことは一切なく、ただ自分を罰しただけです。
でもそれは全く理解されませんでした。母は、リストカットをする私を拒絶しました。
それがストレスでまた手首を切る、怒りを買う、の繰り返し…負のループです。
でも、ほんの少し…「わかってほしい」というSOSではあったと思います。

手首を切ったことを怒るのではなく「何故切ったのか?」「どうすれば切らないのか?」など話し合うことが出来たならば何かが違ったかもしれません。

「手首を切ることは、そんなに悪いことですか?」
主治医にそう尋ねたことがありました。
主治医が院長先生になった頃で、そこまで院長先生と会話したことはなかった時ですね。
先生は怒ることなく「切っちゃったの?」と私に訪ねました。

私は「自罰の為に切ってしまう。どうしてもやめられない。それはダメなことなんですか?」と再度訪ねました。

「先生はやめなさいとは言わないよ。それだけ、桜木さんが辛いっていうことだから」
「しないにこしたことはないんだけどね」

先生はそう言ってくれました。
その代わり…

「オーバードーズをされると、信頼関係が築けないからそれはやめて欲しいかな(笑)」
と言われたんですね。
当時私はバルビツール系の薬を飲んでおり、これらの薬は致死量が高いため、OD傾向にある患者には処方ができなくなる。と、言われたんです。
処方されないと私も困ります。
「良くなりたい」という気持ちが強かったのもあって、それには信頼関係も大切です。
そうしてODの頻度は減っていきました。

現在リストカットをやめられない貴方へ&家族に患者さんがいらっしゃる方

私の主治医が認めてくれたように、私もリストカットは絶対にやめたほうがいい!!とは言いません。
でも、リストカットを「道具」にするのは反対です。
また、リストカットは辛さを表すバロメーターでもありません。
勿論マウントを取るためのモノでもないですね。
「リストカットをしているから辛い」わけでもないし「リストカットをしていないから辛くない」わけでもありません。
ただそこには複雑な感情があり、それを表現した結果が「手首の傷」だと思いますし、今すぐやめなくては!と思う必要もないと思います(^^)

ただ、傷跡は残りますから…それを意識して、セーブ出来るにこしたことはないですね。

リストカットをする患者さんがご家族にいらっしゃる方。
全員がそうではありませんが「あてつけ」で手首を切っている訳ではない場合「も」ある。
ということを頭の片隅に置き、頭ごなしに否定したり、怒りをぶつけたりは、出来ればしないであげて欲しいなと思います。
そして、手首を切っているのはご家族のせいではないということ。
「私がこんな対応をしてしまったから切ってしまうんだ」と、ご自分を責めないで下さいね。
「薬塗っとこうか」と提案したり、何があったのか聞いてみるのもいいと思います。
それが困難な場合は「触れない」というのも手ではないかと思います。
否定も、肯定もしない。
正解のない「自傷行為への対応」ですが、もし私だったらそれが一番うれしい対応です。

最後に

「境界性人格障害」とは特に関係の深い、自傷行為。
辛いのは、患者さん本人も、ご家族も同じです。

「もうしない!もうやめる!」と思っても、何かのキッカケで切ってしまうことはあります。
切ってしまった患者さんは「悪い子」ではないですし、すぐにやめられなくても問題はないです。
症状が寛解に向かったり、何かのキッカケでその回数は自然と減っていきます。
現に、私は現在リストカットはしていません。焦らず、ゆっくりと(^^)

今回はこの辺りで失礼いたします。
ここまでお読み頂き、ありがとうございました!

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