「発達障害の私」と「母の対応」

桜木ひなたです。
書ける時に書く!のと、ずっと書きたかったことなので連続更新です(^^)

今回は「自覚なく発達障害」で育った私と、その母についての話です。

目次

変わった子供

赤ちゃんの頃から、見る人が見たら「あれ?」と思う兆しはあったようでした。
当時はまだ発達障害やADHDという言葉がメジャーではなかったでしょうし、それ故に精神科へ行くという概念もない時代。

小学生低学年の頃、私は軽いいじめに合っていたんです。
私は4/1生まれで、学年で言えば「一番年下」で、この歳の「一歳差」ってかなり大きいんですよ。
体格差もあっただろうし、私の発達障害特有の「KYさ」もあったんだろうなって今は思います。

ただ、当時はいじめられていても、学校にはちゃんと通っていました。
なんだか「いじめられてる」って言うと、母親がすごく悲しむ気がして、言えなかったんです。
一度、主犯の男の子に大怪我をさせられたことがありました。
鼻血が出て、歯が抜けて(乳歯だったので問題ないですが)血まみれに(^^;
それをキッカケに、母親が目を光らせてくれていたように思います。

関心の偏り

発達障害は「自分が関心のあること」は得意です。
一方で「関心のないことは見向きもしない」といった特徴があります。
(※個人差が大きいです)

私の場合「学校の勉強」に関心が持てませんでした。
単に勉強が嫌いとか苦手というより、なんというのでしょうか…興味がないんですね。
勿論、例えば社会や歴史の授業で興味のある話があったらば、没頭はします。
大きくなってから(発達障害の診断を受ける前)でも、気になること、関心のあること、興味のあることに関しては寝食を忘れて没頭していました。

ですので…。
勉強という意味では頭は悪いのですが、特定の分野に特化したタイプです。
「興味あることが詳しいなんて当たり前」と思うかもしれませんが、その度合が強いんですね。

例えば、私は家で勉強をしたことが殆どありません。
夏休みの課題をやったことも一度もありません。提出も殆どしなかったです。
宿題をやったことも殆どなし!先生に怒られても「だって興味ないんだもん」ってなもんです。
ある程度までのテストはいつも点数が悪いわけでもなかったですけどね。

ただ「読み書き」はとても苦手で、発達の遅れはありました。
また「話すこと」も苦手で、順序よくわかりやすく相手に伝える、ということが大の苦手。

しかし中学生レベルの数学や英語くらいはしたほうがいい、とのことで母が家庭教師さんをつけてくれて、その方が保護者に書くノートには「計算方法が独特」と書かれていました。

母の対応

学校に行けない、不登校になったことに関しては、何度か母にこう言われたことがあります。
「どうして普通の子が出来ることが、ひなたには出来ないの?!!」って。
子供ながらにすごく傷ついた記憶がありますが、母親も子供が発達障害と思っていないし、仕方ないですね。

でも、母の対応で素晴らしかったなと思うのが、家庭教師をつけてくれたこともそうなのですが…。
勉強をしない、宿題をしない私を責めることは一度たりともなかったことです。
忙しくてそれどころじゃなかったっていうのもあるのですが。

一度、肺炎を患って一ヶ月近く学校を休み、久しぶりに登校したらテストの山だったことがあります。
元から勉強は嫌い。テストもやる気なし。算数のテストの一つが、0点だったんですね。

母はそれを見て大笑いしました。
「いやあ、ごめんごめん!お母さんが勉強見てあげてなかったからやな、教えてあげるから」
朝も昼も夜も仕事で、殆ど家に居ない母でしたが、算数を教えてくれたのです。
決して「なんでそんな点数なの?!」とか「勉強しないからだよ!」とは言いませんでした。

算数を教えてもらった次のテストでは、ほぼ100点でした。
母親は「教えてあげたら出来るもんね?」と言って、それでもその後勉強を無理強いすることもなく。

登校拒否になった私に、母は

勉強云々はともかく、登校拒否になった私を、母は最初受け入れることが出来ませんでした。
面と向かって言われた記憶は多分ないです。
母が祖母に「ひなたが学校に行かない」って相談したらしいんですよね。
すると祖母が「ええやん、学校くらい行かなくても」と言ったらしくて。
母は「ハッ」とした、って聞きました。

母の仕事の都合で引っ越しも多かったので、友達が出来ないとか、馴染めないとかっていう理由はありました。
そして「学校」に「関心」を持たなくなっていったのです。

でも「行きたくない」って母に伝えることは、とても怖かった。
肝心の母はというと、この頃は朝帰ってきて寝る生活だったこともあり「ああ、そう」というだけで。

貧乏でしたが、私を一人にしているという罪悪感があったのでしょう、母はゲームをよく買ってくれました。
父、母ともにゲーマーでゲーマーの血が濃い(笑)のもあり、私はゲーム大好き。

「学校休む…」からの「ゲームしていい?!」の毎日でしたが、母に怒られたことはないです。
大人になって一生懸命思い出しても「学校サボったのにゲームするな!」と怒られたことは一切ないですね。
これに関しては教育方針もあるし、母が正しかったとかの話ではありません。
私の関心が「ゲーム」だっただけで、母はそれを認めてくれた、というだけです。

たまーに登校していたので、それでいいや、って思ってくれてたみたいです。
とあるゲームでは世界遺産が舞台でした。
私はそれをきっかけに世界遺産にすごく興味がわいて、母に沢山質問しました。
母はそんな私に世界遺産の本を買ってくれたり、興味のあることを学ばせてくれたんです。
言葉というか、辞書が欲しいと言ったら辞書も買ってくれました。
「アニメなんて見てはいけません!」なんてことも言われたことはなく、アニメの影響でスポーツを頑張ったりもしていたので、母としてはそれでよかったようです。

私の場合は「不登校」「勉強をしない」「ゲーム・アニメに没頭」でしたがそうじゃない方もいますよね。
私がお伝えしたいのは「興味のあること」を学ぶ機会を与えたりして欲しいし、発達障害の人にはそれで良いのだということです。

複雑な計算、難しい母国語や外国語、記憶力など勉強って沢山やることがあります。
知ってること、わかるに越したことはありません。
でも「何かに特化した人間」っていうのも、とっても素敵だと私は思います。

母に言われて嬉しかった言葉があります。
「ひなたは学校は行かなかったけど、色んな事に詳しいし、ニュースもよく見ているね」って。

人って、何でも向き不向きがあります。
それが、私の場合はたまたま「”学校の”勉強に不向きだった」というだけです。
学校の勉強以外なら、学ぶことは大好きですよ。

特定の分野に特化する「発達障害」

出来ないことも多い発達障害ですが、一方で興味を持つことはとことん追求するのも発達障害。
これは悪いことでしょうか?
私はそうは思いません。自分を正当化したいというわけでもないです。

「広く浅く」「狭く深く」という言葉もありますよね。
何かに特化して、寝食を忘れて没頭して調べたり研究する人がいるから解明されてきたこともあるのではないでしょうか。

まんべんなくオールマイティに何でも出来る人。
何かが得意で他の追随を許さない人。

この時代において、発達障害って一種の「強い個性」だなって感じます。
まだまだ理解されることも少ない障害ですが…。
実際私は、発達障害と診断されたのはごく最近で大人になってからです。
診断されてからは「そうだったのか!!」と。なるほど!と思えました。

それに伴う感覚過敏などの症状はとっても辛いんですけどね。

最近よく言われ始めた「HSP」も、個性だと思います。
ただ発達障害もHSPも「理由」にしていいけど「言い訳」にしてはいけないと感じますね。
(※発達障害の聴覚過敏、視覚過敏で音や光を遮断したがるのはある程度仕方ないです…)

私は子供が居ないので、親としての気持ちはわかりません。
けれど私は「発達障害の子供」として「母」がとってくれた行動が、とても嬉しかったです。

ちょっとまとまりのない文章ですみません。
発達障害のことを書くつもりが、不登校のことを沢山書いてしまったり…。
発達障害のカテゴリを書くのがはじめてなので、生暖かく見守って下さいm(_ _)m

今回はここまでで失礼いたします。
読んでくださりありがとうございました!

※このブログに書かれていることは、私(桜木ひなた)の1つの経験談であり、全ての症状や対処法をお伝えするものではございません。1つのケースとして見ていただけると嬉しく思います。

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